国が「新しい公共」を表明し、国家の政策として取り入れ始めたのは、概略において鳩山首相が2010年(平成22年)1月29日の施政方針演説にて「新しい公共」という言葉を取り上げ、国家戦略の柱とした時からのようです。この「新しい公共」という考え方やその展望を市民、企業、行政などの社会に広く浸透させ、これからの日本社会の目指すべき方向性やそれを実現させる制度・政策の在り方などについて議論を行うことを目的として「新しい公共」円卓会議を設置し、また「新しい公共宣言」も発表されています。
では、龍ケ崎市が「新しい公共」を表現したのは何時からなのか。正式に市民に呼びかけ新しく作られた「ふるさと龍ケ崎戦略プラン」のまちづくりの基本姿勢に謳われ、具体的に「公共を担う」とする概念を持ち込んだのが最初です。
しかし、「新しい公共」の基本的な概念は政府が発表している「新しい公共宣言」に詳しく書かれていますが、その冒頭では、
「人々の支え合いと活気のある社会。それをつくることに向けたさまざまな当事者の自発的な協働の場が「新しい公共」である。これは、必ずしも、鳩山政権や「新しい公共」円卓会議ではじめて提示された考え方ではない。これは、古くからの日本の地域や民間の中にあったが、今や失われつつある「公共」を現代にふさわしい形で再編集し、人や地域の絆を作り直すことにほかならない。」
とあり、今ある公共の事業であれ、公共と称する領域をそのまま、国民が肩代わりを行なうことをさしてはいません。
したがって、「公共を担う」の「公共」については新しい領域を市民の皆さんと考え、合意を得ながら進めることが大切なのです。少し考え方が行政に都合よく解釈している感が否めません。
最初に協働あり気ではなく、市民の皆さんの合意の形成の結果として協働に至る場合もあるということになるのです。